定期更新@COMIC FLAPPER
メディアファクトリー刊「コミックフラッパー」2005年01月號の掲載作リストを、拙宅で更新して来ました。
表紙は、いつものOKAMAで『クリスマスな銀髪少女』。去年と同じ娘なのかな…
読者プレゼントは、目次後ろのもちろん切手貼ってます葉書で、2005-01/05”必着”で投函。年始のゴタと被るので、特に遠方はクリスマスの頃までに投函して置く方が幸せかも? 餌は、『CDラジオ』を1名、『安心子供ガード』を3名、『QUOカード1000円分』を10名となっている。切手不用は評価するけど、餌に掛けられる予算の程が、先行きを暗示しているような…(汗;)
『ファンタジックチルドレン時計じかけの旅人たち』は、話変わってアニメと被る子供たちの過去の話。メトセラを羨む者は多いが、長く生きると言うことは、それだけ不愉快な事とも長く付き合うということ。精神的にもタフでないと、過去に何れ潰されてしまいますね。幸せは色褪せ易く、苦しみはいつまでも纏わり付いて離れないような気もします。
『二十面相の娘』は、当初の怪盗物の期待とは打って変り、だれが誰なのかわからなくなって来ましたねぇ。裏で蠢いている輩は、何を成そうとしているのでしょうか?
『ふたつのスピカ』は、閉鎖されるプラネタリウムの話。今は、より派手で刺激的なモノが求められています。刺激に慣れて、より鈍感になるに従い、もっと甚だしいモノを求めるようになっているわけですね。軽いモノから入って、より強い麻薬を求めるのと変わらない気もする。変わらない星空も、想像力さえあれば、いつまでも楽しめる。されど、自分は何も動かさず、周りに奉仕される事が当然な現代人には、思惟しイマジネイションを愉しむなんてことは、既にできなくなっているんですね。
『あおくび大根』は、期待とは裏腹に、一日も人生もこんな物だ。
『さくらの境』は、本末転倒と言うか、世話係が世話になってますねぇ(笑) 一人暮らしだと、風呂釜洗いながら入るのは億劫になりますね。寒冷地でなけりゃ、沸かす手間省きを兼ねて、冬でも(温水)シャワーで済ましたくなります。炬燵でなくても季節物が、荷物の山の向うか下に在るのが判ってはいるが、面倒なので新たに買ってしまうことはあるな。おかげでよけいに、荷物が溢れます(汗;)。
『忍者飛翔』は、一条家のお嬢様とね太郎とのお見合いの話。嫉妬プリプリの真琴もともかく、伍堂家当主の器の大きさも見事だなぁ。今時こんな人物は、金の草鞋を履いても探せません(?) 一方でお見合い相手の、一条美沙姫嬢。艶ある黒髪の、和風美女は良いなぁ。でも和田さんの漫画のゲストは、結構、ばさばさ処分されちゃうんですよねぇ。残ってくれよぉ~? 三本目の刀と思いきや、所蔵しているのは、鞘。刃の収まるところでもありますが、アーサー公の手放してしまった鞘の話を思い出しますね。この刀の話は、シリーズの最初の方から引きずっているネタですが、そろそろケリがつくかな?
『ナリワイタイムス』は、モテル為の心理学の話になるのかな? 日本は、本人の実務的な仕事の処理能力よりも、人間関係の渡りの上手さをより問われる社会だと思う。その点では、周囲の人間をあしらえないと一番苦労しますね。持論に近い点も幾つかあり、為になり愉しめたところもあります。この手の作品は、結構愉しみにしていたりします。
『刀神妖緋伝』は、兄貴が家よりも妹を選んで、身を犠牲にして救出。このまま留めを刺せるかってところです。気の所為ですかねぇ…。ベテランらしく、上手く話を描いてはいますが、どことなく仕事をこなしているって印象が感じられます。体が覚えているから仕事は進められるけど、どことなく気が入って無くて乗っていないって言えばいいのか。ずっとテンションが落ちっぱなしな気がしてならないのが、ちょっとね…(汗;)
『キングゲイナー』は、トーンはおろか、ペン入れもロクに入れていないページが有るのは、そのような画法なのですよね?
『痣丸』は、八十面党の事が色々と明かされて行って、終りが近い感じですね。生と死の戦が始る模様。
『アタゴオルは猫の森』は、かなり久しぶりのツキミ姫の御登板。数少ない女性キャラですが、器用過ぎて伝家の宝刀的過ぎるので、封印されたと思っていました。便利キャラは、既にパンツがいますしねぇ。全てが解け合さって幸せになろうってネタは、何もエヴァばかりではなく、梵我一如とかのより古くからあるネタです。でも全てが一つになってしまえば、そこには自分でない者がいない、独りぼっちの世界になってしまうんですけどね。自分でない者がいるからこそ、その者との違いを通して、自分を見つめ認識することができると思うのだが?
『ただ死んだだけの話』は、読み切りかと思いきや、なしくずし的に連載しているなぁ。ズルズルと一冊分原稿が溜まるのも近いかも?
『THE EDGE新選組』は、最終回。新選組の最も華やかな次期も終わり、世間の熱も醒めて来ましたから、潮時という感じです。腐らないうちに幕を引けたのが、良かったと思いますがいかがでしょうか?
『すいむ。』も最終回。劇中で夏を過ぎてオフシーズンになればどうなるのだろうかと思っていたのだが、夏だけの物語であったようだ。ナチュラルなヒロインとの関係が、マドンナな少女との絡みで如何揺れ動いて行くのかが愉しみだったのだが、どうやら大人のぢじょうに睨まれてしまったようで残念な限りである。女の修羅場とまでは行かないまでも、それなりの嵐を迎えるかと期待したのだが、蕾が緩みかけたところで枯れさせられてしまった感じがする。緩急の大きな展開もそれなりだが、この作品のように、穏やかな波に身を浮かべているような作品もいいものだと思う。必ずしもこの雑誌でないといけないとは思わない。またどこかで、次の作品を読ませていただきたいものと切望させられる。
『ケータイの中の人も大変』は、天真楼亮一の読み切り。近未来が舞台で、死んだ元彼が、ヒロインの携帯に乗り移ってと言う話。ヴァーチャル博物館に出る幽霊を調査することになるが、科学的な幽霊と言った感じだろうか。伝奇な妖かしモノを、現代人に判り易い科学に置き換えているのが特徴だろうか? ネタと話の流れは有りがちなのだが、それを現代風にリニューアルしているのが味噌だと思う。コマ割りとその中でのキャラの置き方などは、流石にベテランと比べると気の毒ではあるが、色々と勉強できる余地は少なくないと思う。
『トランスルーセント彼女は半透明』は、不定期読み切りながら9話目。仕切り直して、連載化するらしい。奇病としての透明人間が出て来るが、この作品をSFと思えば突っ込みどころは満載だ。しかしこの作品での透明人間は、肉眼で見えないことではなく、人付き合いの中で思う通りに認識して貰えない苦悩の象徴ではないかと思う。思う通りに見て貰えない、奇異な者として差別される、社会的に無視され疎外感を感じると言った現れとしての表現として用いていると思う。今回は、罹患している方が、交際している健常者に対して引け目を感じ、自分自身と自分に対する相手の気持ちに引け目と不安を感じて思い悩む様子を語っている。エイズとかいった他の現実の疾病でも構わなかったろうが、人間は目に見えて判ってしまうモノをより大袈裟に捕えがちであるので、敢えて透明人間という表現を選んだと思うがどうだろうか?
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