交通事故はありふれた日常…
あいかわらず、悲惨な事故が後を絶たないようだ。飛行機が墜落したり、列車が横転した時の方が賑わうようだが、実際にはそれらは纏まって被害者が出るものの発生率は低く、自動車に絡まれての死傷者の方が桁違いに多い。
だが、他に何もない時でないと取りざたされないくらいに、”日常”化しているのも確からしい。
政治屋の汚職と自動車事故は、ゴキブリと同じで無くなることはないという話もある。
極論を言えば、他の犯罪よりも”事故”は罪意識が極めて希薄な為に、被害者以外は気に留める者がいないのが現状かもしれない。
自動車を使った犯罪でも、”事故”であれば計画的でも無く加害意識も無いのだからとして、碌々処罰されないのが現状だ。自動車に当たる方が悪いとしたり、後は保険屋と話せ自分は関係ないとして逃げるのが、今や”常識的”な加害者像である。ハネられた歩行者や自転車が警察に届けても、起き上がれる程度の軽傷であれば、”物損”という事で処理されるのが常識だ。自動車と言う鉄の殻の中にいる加害者は、全く痛い思いもせず、逆にバンパーに傷が付いたとして損害請求をすることも”日常の風景”らしい。
次いでに言うなら、加害者が被害者の知らぬところで被害者の診断書を連れ込んだ病院から収得して、警察に届け、警察も加害者が届けた被害者の診断書を正当な物として受理して処理する。被害者本人しか請求して発行してもらえない筈(?)の被害者の診断書を、加害者がこっそりと収得できるという事実。無論、そのようなことができるコネなどが有る以上、内容も加害者に有利に改竄されている疑いは薄くはないだろう。後から知った被害者が、警察に不正に取得された書類の無効を訴えても、事務処理が繁雑になるし加害者が被害者の診断書をもってくるのは”通常の事”で、誰であれ”提出されて警察が受理した物が唯一正当な物”なので、いかなる理由であれ抗弁できないということらしい。強く訴えようとすれば、公務執行妨害に強請や恐喝などに当たるとして、逮捕すると恫喝され一蹴される。
詰まるところ自動車を兇器とする犯行は、刃物や拳で殴るよりも格段に軽度のものとして扱われ、加害者に大した罪も問われることはなく、それ故に罪の意識を感じる事なく”気軽に”やれるようになっているのが常識ではないだろうか?
自動車メーカーは安全対策として、人を跳ねた時の衝撃からドライバーを守るように務め、特にランクルなどはゴツイバンパーを付けて武装さえしている。保険屋も、獲物からの逆恨みからドライバーを保護し、もみ潰せなかった時でも出来るだけ0以下になるように値切り倒しまくる。車体と警察と保険屋に守られた自動車の運転手にとっては、同じ自動車同士しか怖い物はない。自転車や歩行者などは、当たれば痛いのは彼らだけなので、それが嫌ならば自動車の邪魔にならないようにするのが”常識”だから、自動車が一々気を回す必要などどこにもない筈だ、…と言うのが今の常識らしい。
歩道などと言うモノはなく、道端の細長い駐車場があるだけだとか考える者も多い。事実、脇道や道路脇からの敷地に出入りする自動車で、歩道を横切る前に言ったん止る自動車などは絶無であり、勢いよく突っ込んでくるのが”常識”だ。歩道に自動車が幾台も止めている為、登下校する学徒が幹線の車道に出て迂回して行くのは、”有り触れた日常の光景”です。
そのような”日常”からすると、今回の”事故”も、所構わずすってその煙草の吸い殻を投げ棄てるのと同じように、ありふれた”日常”の一コマなのかもしれない。
とそう考える自動車のドライバーは、自分の身内や自分自身が自動車を降りている時に、”いつも”の様に他の自動車運転手にはねられた時にも、今度は自分の番だったのかと穏やかに苦笑でもするのだろうか?
それをどこか麻痺していて、気でもふれているようで可笑しなと思うのこそ、どこか”常識”知らずな天然さんなのかと振り返って見るべきなのだろうか?
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