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2005.06.05

車の代わりに、人をはねる?

 京都で、自動車にぶつけない為に人をはねたって記事を見ました。
 なるほど、ぶつけるのが人なら、バンパーの傷も小さくて済みますからねぇ…って(゜ペメ)

 駐車している自動車を避ける為に、歩道に突っ込んで、代わりに人二人をハネたって事です。


 堅い車や電柱に当てちゃうと大きくひしゃげるので、それくらいなら人の方が柔らかいしっていう、とっさの判断でしょうか?
 車に当てて、ショックでエアバッグが展開しちゃうと、使い捨てなのに数万円ですからねぇ。
 それとも、駐車していた車は、黒塗りの外国産でスモークガラスだったのでしょうか?

 先日も、安全だと思って集団登下校していたら、纏めて一束からげられちゃったということがありました。

 保険とかは知りませんけど、自動車で車にぶつけての修理代其他よりも、人にぶつけた方が安上がりなのでしょうか?
 確かに、被害者が自分で起きあがれる程度だと警察は、自転車から物損歩行者なら何も無しにしますけど…

 歩道を駐車場にされて、止むを得ず歩道の車を避ける為に人や自転車が車道に出て怖い思いをしつつ迂回して行くことは、今や特別な事ではなく日常の風景です。歩道に丸ごと何台も乗りいれて停めている横を、パトカーやミニパトがにこやかに通り抜けて行くのはよく見かけますが、取り締まっている所だけは見たことがありません。
 歩道がありながら、警察の黙認を受けて塞いでいる自動車の為に、歩行者の方が一触即死の兇器が横行する車道に身を投げ出して行ったあげく悪い予感が現実のものとなるのなら、それはそれで不幸かもしれません。

 しかし、駐車場ではない歩道にいても、安全とは無縁で自動車に襲いかかられるのであれば、街中で歩行者が安心して移動できるところは日本には無いということでしょうか?
 歩道橋のように一段高くしても、橋脚に大型車をぶつけられて、道路毎なぎ倒されそうです。
 車両進入禁止の地下道を作り、歩行者はお天道様の下を歩かないようにすればいいのでしょうか?

 歩いていたり自転車に載っている時に、自動車に轢かれそうになるのは連日の事ですし、実際に当てられるのは季節ごとくらいでしょうか?
 その時に決まって思う事は、運転手はか弱い女性であっても一時に何人も殺せる兇器に跨っている自覚が絶無だと言う事です。
 刃物を振り回しているモノが、向いからノシノシやってきても、一向に気に留めない方はどれほどいるでしょうか?
 私であれば、ぞっとして今すぐ回れ右をして、駆けて逃げ出したくなります。
 見るからに、その筋らしい者が店に入ってくれば、買うモノ買わずに出て行きたくなります。
 自動車が歩行者相手に起す事故がどんなモノだか知っている者にとっては、自動車は便利な移動機関ではなく、大鉈や金棒を振り回しながら獲物を捜し回っている大鬼のように見える時があるかもしれません。

 私は就学前に、自動車が起した事故を目のあたりにしたことがあります。
 あとから聞いたところだと、後ろに幼童がいる事に気づかずバックした車が…
 大人たちの人垣の間から、その現場を見た当時の私の目には、赤土か何かを道路にまきちらしているかのようでした。その光景が何か、当時の私が理解できなかったのは、幸運だったと思います。思ったより利口で、それが何か理解してしまっていたなら、その後の私は学校どころか、家から一歩も自動車のいる外へ出れなくなった事でしょう。

 人には妙な心理があって、都合の良い事は自分のところに来るのが当然で、都合の悪い事は人事で自分のところに廻されるのはお門違いだと言う思いがどこかにあります。
 自分に都合が悪い事など起こらないけど、自分を妬むものがお門違いの罪を着せて落としいれようとはするかもしれない程度は、思いつくかもしれません。
 自分が運転する車の邪魔になるように駐車しているのは、自分には責任のない嫌がらせだし、それでも自分は運転がうまいから見事に避けてみせる。自分が上手く避けるのは当たり前だが、それでも飛び込んできて自分の車に体当たりしたあげく、自分が避けずにぶつけたなどありもしない言いがかりをつけてくるとぐらいは考えそうです。
 被害者は寧ろ自分の方だから、当然落ち度は自分にはないから相手が悪い。相手が自分にぶつかってきたのだから、自分こそが被害者なのは莫迦でなければ判る筈だ。それを事実とは逆に、自分がやったかのようにして自分を加害者に仕立上げ、加害者の癖に被害者の自分に慰謝料や治療費などを払わせようとするのは、冤罪に加えて強請だ。そう主張する運転手もいないではない。
 多分そんな運転手の多くは、自分が歩いている時にハネられた事が無いのだろう。
 道で理不尽な暴力をふるわれて、肉体と精神に深い傷を負ったことがあれば、自分が乗っているのは自動車と言う名の兇器ではないかと考える事が、一生の間に一度くらいはありそうな気がします。

 『事故だから仕方がないだろう』
 人をハネておいて、そう言いはなつ運転手は少なからずいます。
 事故は故意ではないと決まっているのだから、被害に対して刑罰は雲泥の差があるほど軽い。公園の浮浪者を殴り殺すより、車でうっかり集団登下校中の学童達をハネ殺してしまう方が、刑罰も軽いのかもしれない。
 そんな風に軽々しく思えれば、人をハネちゃっても、てへっで済むからお気軽だし緊張感も無いのだろう。

 明白な殺意もなく計画的である事が実証できなくとも、運転する自動車を刃物やバッドに格闘技の有段者のように、残忍な兇器扱いしてそれなりに責任を重く求めるべきだろう。バットや有段者の腕で殴りつけるより、自動車を使えばか弱い女でも、一人とは言わず一気に数人を数段ひどい傷を負わせたり殺すことができる。


 自動車は、虚弱者でもお手軽に人を挽き肉にしてしまえる兇器で、それを獲物である人が往来する表で振り回しているという自覚と緊張感と責任感がないから、自動車にぶつけちゃまずいから人にぶつけておこうなどととっさに思いつけるのではないだろうか?

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